後醍醐天皇陵墓(第96代)
2012-05-05
後醍醐天皇陵(吉野山散策時に、如意輪寺にて参拝)
京都に帰ることを望んだために、北向きに建てられているという。ひっそりとした中に佇んでおり、少し悲しげであった。
※)宮内庁天皇系図(http://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/keizu.html)
光仁天皇陵墓(第49代)
2012-05-04
光仁天皇陵(伊勢より奈良へ移動中)
※)宮内庁天皇系図(http://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/keizu.html)
2012
謹賀新年です。僕にとっては、ただの週末にすぎないけれど…。
福岡にいた1年半が自分を変えた…というよりも、自分を取り巻く仕事環境が大きく変わってしまったという方が正しいかもしれない。サラリーマン生活が15年になり、8年前に異動した現在の部門で言い続けたプランが事業化でき、2012年に日の目を見ることになる。その関係で自身がドタバタしており、周りには迷惑をかけている事をお詫びしたい。ごめんなさい。
さて、2012年が始まるにあたり、2点ほど…。
- 仕事の都合もありますが、この場所は暫く開店休業状態になります。匿名ではありますが、別の場所で所属している会社に問題提起をしようと考えているところです。変わろうとしない組織に対し、個人として外圧をかけてみるつもりです。逆に追い込まれたら次のステージに移ればよいので…。
- 仕事に対する姿勢を変えます。僕が要る業界は、これまで以上に景気が悪化するように感じています。既に8割引きや9割引きが当たり前の世界になっており、エンジニアとしては高く売る方法を考えなくてはいけません。でも、それは日本の法制度では無理なので海外に向けて売っていく方が早いように思います。これまでは、国内に拘り、日本という国の生活レベルを上げていけるように考えていたのですが、自分の作り出すアウトプットに拘っていこうと考えています。良くも悪くも…。
様々な形で縁あるみなさん、今年もよろしくお願いします。
Go with a smile!
Back to 東京
東京に戻ってきて2週間が過ぎた。異動早々、大阪に出張したり、プロジェクトの後始末と言うか、次に拡張するためにやらなければいけないことが多く、仕事以外の仕事(世の中では調整やらネゴというのかも…)を少しずつこなしていった。そのおかげか、仕事はかなり忙しいものの、ある程度の道筋は見えてきていて、暗中模索の一昨年、去年よりも、かなり気持ちは楽である。
それとは別に、今日は家族の事を書いてみる。僕自身は、家族のことを公開したり口にするのが苦手なので、読んでも気持ち良いものではないかもしれない…。支離滅裂になるだろうし。
1年半ほど、博多で一人暮らしをして感じたのは、僕は一人が性に合っているのだということ。昔から「付き合いが良さそうで、実は他人を排他的だ」というのは近しい友人たちから言われることだが、どうも家族に対しても、そのような要素があるようである。バイクや車で遊んでいるときに[チーム]という形にこだわっていたせいか、車を降りてからは形作られるのが好きではない。なので、[家族]という形の定義が好きではなく、子供に対する親のスタンスも、他から見れば少し冷たいものなのではないか?と感じる。別に子供が嫌いなわけではなく、子供を好きだという個人的な感情よりも、子供が成長したときに自立できるか?という責任が前にたってしまう。ある意味で言い訳かもしれないが、子供が自分で選択し、選択したものに責任を持つ…ということを常に子供に要求している。子供は息苦しいかもしれないけど…。
上の子は中1になり部活やら塾やらで自分の生活スタイルを身に着けつつあり、下の子も小4になって友達が固まりつつある。たぶん、父親らしいことが出来るのは、子供が小さい時の僅かな時間に限られていて、その後は子供の行いに対して責任を持つ事しか出来ないのだ…と言う事を今さらに感じている。僕は、今も、これからも子供に対し闇雲に可愛がる事が出来ず、孫が出来た時に孫を闇雲に可愛がるのだろう…、僕の父親と同じように。
子供達の世代が楽しく生活できる世の中にしたい…と言い訳しながら、今日も仕事。
九州の思い出(高千穂編)
第3弾は高千穂編。神々の降り立った場所だとか…。*1
去年、博多に来た時に陽ちゃんが高千穂に向かったのが気になって行ってみた場所。天岩戸神社と高千穂神社、そして高千穂渓谷を歩いてみた。
まずは、古事記でも有名な天の岩戸。八百万の神々が宴会を開いた場所らしく幻想的な風景だった。*2
続いて高千穂渓谷。ここは見ておくべきだと思う。日本古来の自然な風景が残っていて、観光地なのに観光地っぽくない質素な土地だった。もっと多くの人に見てもらいたいと思う反面、このままの景観を維持して欲しいとも思う。
最後に高千穂神社。重厚な空気を纏っていた。
宮崎という土地は、多くの観光名所がある。元東国原知事が物産についての宣伝を行なっていたが、観光地としては有名でないなぁ…と感じる。ここに行ってから、古事記や日本書紀の本を読むようになったのだけど、日本人として日本の歴史(国の誕生等の話)を知らないことを恥ずかしく考えるようになった。教科書の中でも、国の誕生や天皇の存在する理由が少ないのは如何なものなのだろうか?教育と政治を別として捉え、史実を知識として次世代の者たちに提供していくことは大事な事なのだと思う。合理主義も良いけれど、無駄を無駄としない努力も必要で、ビジネス的なことや学術的なことばかりでなく、このような日本の史実をきちんと説明できる大人になりたい。
【おまけ】
美しいスカイラインが走ってきたので、思わずパシャリ…。
高千穂町のマンホール。
1つ目は、高千穂渓谷や町をイメージしたもの。
2つ目は、天孫降臨の地をイメージしたもの。鳥居とTの字を上手に出剤されていた。
長崎くんち
3連休の中日に、久しぶりのロング。長崎くんちがやっている様子なので、天主堂や平和公園のついでにくんちを見に行ってきた。
明け方前に出発し、西へ向かう。もう冬が近づいているのがよく分かる程寒い。夜明けと共に長崎に入り、フェリー埠頭に進入禁止エリアがあるので、向かった。
前知識が無いまま、観衆に紛れ込む。山車や踊りが中心で、日本文化と大陸文化が混じった不思議な祭りだな…と考えながら眺めていた。目が覚めたのは、樺島町のコッコデショが登場した時だった。これこそが、究極の神輿で芸術なのだと感じた。お囃子もなく、ひとつの太鼓と掛け声のみ。派手な装飾もない。また、小学生や中学生が神輿に乗るが、安全装備は一切ない。本当にシンプル。
このコッコデショ、7年に1回しか登場しないらしく、思いつきでのロングにしてはラッキーで、良い思い出になった。次は7年後に…。
どうしても担ぎ手に目が行きがちだが、周りを固める4人の中学生や、太鼓を叩く小学生たちの演技にも注目して欲しい。僕が行った日は3日目だが、疲れなど見せず、きちんと揃っているのを見て、なんだか感動して涙が出てしまった。
コッコデショ…だけでなく、他の町の山車や踊りも素敵だった。特に出島町の阿蘭陀船は和洋折衷の最たるもので、様々なものを貪欲に取り込んでいく日本らしさが出ていて美しかった。
オルゴール回しの際に奏でられる音楽が、長崎の童歌でもある「でんでらりゅうば(←自信なし…)」。これが流れると観衆から歌声が聞こえてくる。本当に観衆と一体化するお祭りだな…と感じた。
ちなみに、さだまさしの歌のサビにある様子…↓