Ron's Backlog

奔放不覊

様々な思い(その3)

仕事も落ち着いてきて、先が見え始めたので、そろそろ戻ってこようと思う。
  
今日は、赤い羽根共同募金に立ってきた
募金をお願いして感じるのは、普段お節介だと思うおばあちゃんほど声に耳を傾け募金をしてくれる
逆に僕らの世代は、鬱陶しそうに一瞥し、我関せずと歩を進める
寂しい世の中になったもんだ…そう思いつつ、街の声には耳を傾けようと心に誓った
  
  
  
昨日の話の続き…
  
僕は、その友人を見続けている
昔から…そして今でも…
他の人よりも、少しは知っているという自負もある(怪しいもんだけど…
それが正しいのか?もしくは正しくないのか?は僕の中での問題ではない
その人、もしくは周りが決めれば良いことで、僕は僕の意志の下に行動するだけだ
  
自身のスタイルを貫くことは難しい
周りに認められれば、とても心地良く、自分の好き放題にできる
ただ、落とし穴に注意しなくてはならず、調子に乗るとワガママなだけになってしまう
逆に周りに認められない場合、ただただ自分が認められない気持ちだけが募る
自分が否定されているのはとても悲しいことなので、それを貫き通すにはよっぽどの覚悟が必要だ
  
スタイルを貫くこと
それは身の周りとの闘いでもあるが、それ以上に自分との闘いである
周りに認められても頭に乗らず、周りに認められなくても固辞し続けなくてはならない
  
そのためには、自分の個を固辞することだけでなく、周りの意見を認めなくてはいけない
同調や賛美の意見だけでなく、批判や嫌悪にも耳を傾け、許容し続ける必要があるのではないだろうか?
全ての人の意見を認め、個を貫いていく
そのための対話や軌道修正を行うこと
そういう姿勢が重要なのだと僕は考える
  
また、人は独りでは強くなれない
良い理解者を身近に持つことが、スタイルを貫き通すための第一歩である
少なからず一人は味方を持つことも重要だろう
多くは必要なく、少なくても構わない
自分が自分の意志を云っても、客観的に判断してくれ意見を云ってくれる友達を持つことだ
ただただ認めてくれるだけでなく、厳しく叱ってくれる友達を持つことだ
  
そういう理解者を友人が持てる日が来ることを心から望んでいる
少なくとも、僕は君の理解者でありたいと思っているよ