Ron's Backlog

奔放不覊

古代の出雲

 最近、お仕事の関係で、山陰地方を訪れる機会があります。少し前に出雲大社にお詣りする旅をし、その時に境港市にも足を延ばしました。正直なところ、水木先生の本は初めて読みました(アニメは見ていたのですが…)。

 

水木先生の視点で描かれている内容は、古代の出雲に着目されており、出身地だからこその視点と、古事記風土記などの文献、現地の取材等により、深い内容が書かれているものの、馴染みやすい漫画で示されています。

 

出雲の地と言えば出雲大社です。しかし、本書の中でも記されていますが、出雲國一宮は熊野大社だったりします。古事記の中では、八岐大蛇の退治や因幡の白兎など、多くの舞台が出雲近隣で繰り広げられるので、私自身は日本のルーツは出雲なのだと思っていました。最近やっと、九州の宗像や和歌山の熊野、信濃の諏訪など、地方の豪族(当時は豪族ではなく種族かもしれない)の時代があって、争いと会話の中で1つの国家を形成される様相を神格化(または神話化)しているのだろうということが実感できてきた気がします。

出雲地方では、須佐之男命による日本初のお宮である須我神社であったり、須佐之男命の終焉の地にある須佐神社など、古事記の登場人物を祀る神社だけでなく、それこそ縁のある神社が多々ありそうです。本当は半月くらいかけて回ってきたいところですが、なかなか難しいです。

 

須我神社

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須佐神社

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近いうちに出雲の旅記を…。

手長と足長

やれやれ。SNSの利便性にかまけて文章を書かなくなっていました。いろいろなことがありましたが、なんと言うか自身の方向性というか、知りたいことも見えてきたので、10年ちょい前に様々な出会いをもたらせてくれたブログに回帰していこうと思います。

と言っても、ここに記されることは読書感想文と旅行記のようなものです。人の役に立つような記述ではなく、自身の記憶の整理であり、思考の経緯をプロットして振り返ってみる試みでもあります。即ち、散文であり駄文であることが前提です。ただし、それを定期的に読み返すことによって、自身にどのようなフィードバックをもたらすのか、記録していこうと考えています。

 

取り急ぎは、読書の記録から・・・。喜田貞吉氏の「土蜘蛛研究」を読んでみました。

 

本書を読むキッカケは、諏訪大社を参拝した際にお会いした手長神社の宮司さんです。こちらの宮司さんは、複数の神社を兼務しているとのことでしたが、手長、足長を含む近隣の神社の見所や歴史を懇切丁寧に説明してくださり、私の神社巡りの礎にもなっています。

当時の私は、諏訪大社(4社)の参拝と、相方の祖母が疎開した地域を散策することを目的として旅行していました。このため(正直なところ)、手長神社や足長神社に興味があったわけではなく、”ついで”・・・というと言葉は悪いですが、帰り道に立ち寄った神社だったのです。が、手長神社にあった立て札を読み、心惹かれるものがありました。社務所に伺うと、宮司さんはご不在だったのですが、諏訪大社社務所に電話したところ、宮司さんに連絡してくれ、颯爽と戻ってきてくれ、前述のとおり、嫌な顔ひとつせず説明してくださった次第です。

宮司さんの話では、枕草子に手長足長の一節があるそうです。視界の隅に映る手長・足長を見て、忌み笑っているように見えます。(私には、古文など文学的なセンスは皆無なので、あくまでも個人的な感想です)

清涼殿の丑寅(うしとら)の隅の,北のへだてなる御障子は,荒海のかた,生きたる物どものおそろしげなる、手長足長などをぞかきたる。上の御局の戸を押し開けたれば、常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ

「<<京都>>御所と離宮の栞(京都御所)」より引用

 

喜田氏は、民族の慣習の観点より、手長・足長は古代の膳夫(給仕人)を司る役職(もしくは役称)であり、土蜘蛛と呼ばれる先住民(或いはその者たち)ではないか、と説いています。

私自身も、縄文の時代が一万年続いたことを考えれば、国内の様々な土地で、異なる豪族(もしくは種族)が集団生活していたことは想像に難くなく、ひいては国家形成の段階で、緩やかな中央集権を図るために、統合した種族を人で非ない者として、記しておいたのではないかという考えが、頭の中を過ぎってしまいます。

 

本書では、以下のように記してあります。

足長の神は他に所見が少いが、手長の神は各地に多い。延喜式には、壱岐国壱岐郡手長比売てながひめ神社、同国石田郡天手長男あめのてながお神社・天手長比売あめのてながひめ神社があって、後の二社は名神大社と仰がれ、その手長男神社は同国一の宮ともなっている。祭神は一宮記に、天思兼命あめのおもいかねのみことの一男とあるが、もとより拠るところを知らぬ。太宰管内志には文化十年の壱岐島式社考を引いて、祭神天忍穂耳尊手力雄命たちからおのみこと天鈿女命あめのうずめのみこととある。また手長比売神社の祭神は、同書に壱岐図説を引いて、忍穂耳尊の妃栲幡千々姫命たくはたちちひめのみことと、稚日命・木花開耶姫命豊玉姫命玉依姫命だとしてあるが、果して旧説承けるところがあるか否かわからぬ。

喜田貞吉 手長と足長 土蜘蛛研究」より引用

いずれにせよ、手長や足長という存在を知るためには、もう少し足を運ぶところがありそうです。様々な神社を巡っていると、土地の歴史を知ることだけでなく、人との出会い、新しい知識との出会いがあるだけでなく、まだ見ぬ場所への誘いも得られ、自身の人生を豊かにしてくれるので、止められそうにありません・・・。

 

手長神社の御朱印(手が長いところがかわいい)

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足長神社の御朱印(こちらは足が長くなってます)

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 八剣神社の御朱印

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箱根神社

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初詣(2017.01.04)

約4年振りになるようだ。
今年の最初は箱根神社に行こうと決めていた。神奈川県に育ち、温泉が好きで、車や単車でブラブラするのが好きな自分にとって、正に聖地である。でも、実は箱根神社のことは良く知らない。芦ノ湖に住む龍を祀っているとか、山に対する自然信仰とか、頭の中で想像だけが膨らんでいく。

かつて9つの頭を持つ龍が棲み、人々を苦しめていたという。箱根神社を創建した萬巻上人がこの龍を改心させ、龍神として祀ったのが九頭龍神社の起源だ。

神社の解剖図鑑2(株式会社エクスナレッジ,2017年1月1日初版第1刷)

神社の解剖図鑑2によれば、箱根神社と九頭龍神社を創建した人は萬巻上人と記されている。名前から想像するに、山を崇拝する自然信仰が、修験者や修行僧に形作られ、そして山越えする多くの人々によって崇拝されてきたのだろうと思う。現在でも静養地、観光地として多くの人で賑わっており、どれだけの人数が箱根の山々に足を運んだのか…と考えてみると感慨深いものがある。

箱根神社(九頭龍神社) : http://hakonejinja.or.jp/

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プロジェクトマネジメント

プロジェクト・マネージャーが知るべき97のこと
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プロジェクトマネジメント(以下、PMと略す)については、多くのHowto本が出版されており、多くの手法が存在する。僕自身も多くの本やインターネット上の情報を頼り、様々な方法論を参考にさせてもらっているのだが、ここでは個人的な経験則を記しておきたい。

**1.マネージャの役割
個々人の考え方があるので、絶対正しいとは思っていないが、マネージャの役割は以下の2点に集約されると考えている。
+全てをチーム員に任せ、舵取り(方向性の調整)とフォローアップ(問題発生時の根回し)
+責任を取ること

**2.PMに必要なこと
必要なことは「任せること」に尽きる。
正直なところ、何事も自分でやった方が早いし、自分の思い通りになるので責任もとれる。日本企業の中間管理職は、「現場の仕事+マネジメント業務」が強いられる事が多いので、管理職が「任せられる人」と「任せられない人」の2つに分類される。僕は*1、いまだ「任せられない人」なのだけれど、降ってくる仕事の中で任せる仕事は任せている(…つもり)。必要な教育を施し、ある程度の経験と知識を持っていると判断できたら、やる気の有無に関わらず任せる…ようにしている(つもり)。

**3.具体的な手段
マネージャとしてチーム員の資質を見極め、プロジェクトのパートを任せることからスタートするのが良い。特に、経験済みのパートだけでなく、その中に初めてとなるパートを織り交ぜていくのが理想的ではないだろうか。ただし、初めてとなるパートはスケジュール的に余裕を持たせてあげる必要があると共に、進捗が遅れる可能性が高いのでテコ入れしてあげることも必要である。

**4.課題
僕の場合は時間管理(タイムマネジメント)に尽きる。
「家でも、移動中でも、ネットがあれば仕事ができる…」という考え方は自分の都合でしかない。僕は、会社の中に居るのが好きではないので、どこでも仕事ができる環境を作ってきた。その結果、周りがその環境に振り回されることになってしまったと思う。ノマドなワークスタイルが人気を博しているようであるが、チームで仕事をするのであれば、時間を限定した環境でのワークスタイルも必要なのだな…と再認識した。チーム員の仕事の進捗を見極めつつ、進捗が滞らないように時間を調整すること、特に僕の場合は自分の役割や判断を適宜行える環境を作ること…が課題である。

***5.まとめ
呉港や江田島の海に浮かぶ牡蠣棚を見ながら、上記のようなことを考えていた。
しかし、上記の事やHowto本に記載されることの多くは「プロジェクトマネージャが、プロジェクトをこなすためにすべきこと」であって短期的な視点でしかないのではないか?という疑問を、最近持ち始めた。プロジェクトマネージャの本当の仕事は、よくわからないプロジェクトを極力ルーチン化すること(ソフトウェア的に言えば、フレームワーク化していくことに近いかな…)なのかもしれない。業務効率を上げる一番の方法は、定型化して自動化することにあり、そのために無駄の排除しルーチン化することが必要なのだと思う。

*1:管理職じゃないけど、おおむね管理職の仕事もこなしているだろう…という自意識過剰な目線で見てみた場合…の話。

新年早々の出張は福岡。
週末の時間に設定できたので、今年度最後の休暇と割り切り、大分まで足を延ばしてきた。大分と言えば、この人です。楽しい時間をいただいて参りました。(悠ちゃん、ありがとう)

  
夏に水窪に行ったとき以来だから半年ぶりになるのかも…。そして、彼に会うといつも気付かされるのが、”おもてなし”という単語。僕自身は、仕事を中心に生活しているので、簡潔な言葉や言い回しを心がけている。でもって、他人の感情よりも、自分の意思を優先するので、必然的に口調はキツくなる(と思う)。仕事の中でも言われているけど、口調をキツくしているのではなく、端的に伝えたいだけなのだが…。
  
今回も会って感じたのが、彼の言葉のチョイスや言い回しが素晴らしいこと。少し上から目線の言い方になってしまうかもしれないが、様々な経験を背景にした、心遣いに基づく単語の選択が、相手をしてもらっている者として、耳に心地よい。チームが大きくなりつつある今年、この辺りが自分の課題になるのだなぁ…と思う。
  
そう言えば、3連休に年末年始の写真を整理し、Kindleで誉田さんのストロベリーナイトシリーズを読み、録画したテレビ番組を消化するという体たらくな生活を送った。子供たちとゲームセンターに行き、子供が選択したゲームが湾岸ミッドナイトだった。そのとき、いつもは大きくなって寂しいと思う気持ちよりも、成長が楽しみだな…という気持ちが強くなった気がした(笑。

2013年

久しぶりに子供とゆるりとした時間を過ごしました。
バイクでのお出かけもあったけれど、基本的にはグダグダな寝正月で…。
気付いてみれば中学生になる息子は、自分よりもゲームがうまくなっていて、ちょっと悔しい気分だったりする。
  
まずは近場に初詣へ。
近所の白旗神社は、源義経公を祀った神社。
その昔、東北で亡くなった義経公は、刎ねられた首がさらされた後、藤沢の海岸に流れ着き、藤沢の地に首塚を作ったとの事。これが白旗神社のベースです。なので、家紋が笹竜胆。

  
境内にある弁慶石を持ち上げてみょうとする子供と甥っ子。
びっくりしたのは、僕のスウェットパンツを履いているのに違和感が無い感じ…。
来年には抜かれるんだろうな。嬉しくもあり、哀しくもあり、羨ましくもある…複雑な気分。

  
短い間だったけど、楽しい時間を過ごしました。
今年は少し仕事から離れて、自分のプライベートの時間を充実していきたいと思います。
ま、ほとんどバイクになると思うけど…。

  
ネット社会だけでなく、いろんな場所に出向いてみようと思います。
今年もよろしくお願いします。

風車

2012年の締めは、さまざまな紐が繋がる日だった。凄く懐かしい紐…。
今日は陽が出てて暖かな日だったので、1ヶ月ぶりにRickmanを出した*1。なので、勇気を振り絞り憧れの店に向かう事にした。
店の前に美しいバイクが並んでいたTaro's。高校のそばの海岸線沿いにある喫茶店である。
  
海岸線を、海を眺めながら渋滞にはまっていると、後ろから心地よい集合管の音が近づいてくる。隣に並んだ時にチラ見をすると、20歳の頃憧れたバイクが並んでいた。バイト先のスタンドに一度だけ来てくれて、10分ほど立ち話をした人。スタンドの常連さんの先輩にあたる方のバイクで、当時のままで走っていた。すかさず、追いかけていったのだけど、途中で曲がってしまったので、諦めてお店へ向かう。
  
海岸線沿いにある小さな店で、いつか常連になろうと思い続けてきたお店。その中はこんな感じ。マスターに「写真撮っていいですか?」と聞くと、快く許してくれた。


  
店の中は写真の通り、カウンターと2人掛けの席が3つほど。店内は湘南ビーチFMが流れており、店の前に止めているバイクと、その先に広がる海を眺めながら、静かな時間を過ごせる。
  
暫くすると、店の前に先ほどの憧れのバイクが止まる。挨拶しながら店内に入ってきたので、思わず声をかけてみた。20年前のスタンドのバイトくんなど覚えてないと思いつつ…。
その後、バイクの話を長々とし、車検にだす店も紹介してもらい、なんだか夢のような時間が過ぎていった。

  
サリーズという名前を覚えていた。娘の名前とのことで、その名残がタンクに残っている。

娘さんがディズニーのアリエルが好きだったそうで、小さな頃バイクに乗せるために描いたとの事。しかも、このタンクはレアもので、幻の19リットルのタンク(通常は17リットル)で、それを惜しげも無く娘のために塗り替えちゃってるところがスゴイ人だと思う。とても親切な人で、自宅まで教えていただき、毎週居るから遊びにこい…と誘っていただいた。社交辞令かもしれないけど、毎週行くぞ…。
  
2012年は、いろいろとあった年だった。哀しい年でもあったけど、最後の最後に良い事があった。
この調子で、来年も走っていこうと思う。という訳で、みなさん、今年はいろいろとありがとうございました。これに懲りず、来年もよろしくお願いします。

*1:乗らなかったのは、仕事と雨に祟られてたためで、寒いせいではない。