壁と卵

今日は、ふと村上春樹のスピーチ「壁と卵」を思い出し、考えさせられる一日となった。キッカケは、人事の話。私が何処に所属すべきか?というくだらない内容。そもそも、体制だの所属だのに拘るのは縦割り体質から抜け出せていないのであって、”自分が成すべき事”を自覚し、自分の意志で仕事を続けていれば、体制だの所属だのというのは大した問題ではない。いや、所属は住む場所に影響を与えるので、少しは問題として捉えないといけないかもしれないが…。

さて、このような体制だの所属だのといった固定概念(世間では”常識”と言うのかもしれないが…)と、どの様に向き合うのか?が今日考えてたこと。固定概念となる仕組みと対峙した村上春樹は、スピーチで以下のように発言していた。

 今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。

大事なことは、”他人にどう思われるか?”でなく、”自分がどう思うか?”であり、その信念に従って行動することなのではないだろうか。とかく日本は、中途半端な欧米化を推進した事、旧来の伝統という名のシステムの中に個人主義を導入した事により、歪が生じている状態である。これを打破するためには、個々人が得られる情報を整理し、自ら考え、他人事として捉えない事を、自分の習慣としなければならない。大きく言えば地震原発の問題、近く言えば雇用体系や体制、生活に関わることなど、有権者として積極的に政治に関心を持つ必要があるのではないだろうか。
誰かのせいにするのではなく、つっぱらかろうと思う。