終焉と旅立ちと

久しぶりに更新する。今日は、少し違うことを書いてみる。これから綴ることは、個人的な気持ちを整理するためのものであり、他愛も無い事でもある。
  
今日、上の子が小学校を卒業した。この卒業式に参加するため、久しぶりに神奈川へ帰った。博多に居ると、報道はされているものの、食料や電力などは潤沢であるため、震災のリアルさが足りないように感じている。子供の卒業式などという私的なことを普通にできる事に対し、申し訳ない気持ちもある。ただ、言い訳をすれば、私の親類も13日に無事であることは確認できたが被災している。この辺のことは後に記すこととして、恥ずかしい気持ちもあるが子供に対する思いを記しておく。
  

陸仁へ

卒業おめでとう。週末も家に居ないことが多く、父親らしいことは何一つしてあげれてない事を申し訳なく思う。今日、君は小学校を卒業し、4月からは中学生となる訳だ。卒業式で、君やきみの友達が、ひとりひとり、自分の夢を語った。「すし職人になる」という事を初めて聞き、その言葉を聞けただけでも、休暇をとって参加した意義があったと思う。サッカー選手、野球選手、小説家、学者、看護師や警察などの言葉が多い中、周りの人達は失笑していたが、自分がやりたい事を口に出して言えた事は大きな一歩なのだと感じた。
これから中学生になると、今まで親の庇護の下に居た生活から、だんだんと抜けだしていかないとならない。親が邪魔になることも多くなってくると思う。私は父親としての自覚が欠けているのかもしれないが、友達親子になりたいような気持ちはない。また、私が経験してきたことや、私の思いを押し付けるつもりもない。君は君として、自分で様々な選択をし、嫌というほど生きてほしい。そのなかで悩み、苦しみ、考え続けた末に、親の力が必要な時は何時でも力になる。私が経験した事や知り得た事は、君がこれから生きて行く中で参考になる事もあるだろうけど、まずは自分で考え選択することをしてほしい。
  
そういえば、君の名前の由来の話をはぐらかしていたのを思い出したので、改めて伝えようと思う。”陸仁(りくと)”としたのは、大きく2つの思いがある。
ひとつは、人に夢を与えてほしいこと。これは、昔のオートバイのメーカーである陸王から頂いた。どんなものでも良いし、どんな方法でも良いから、人に夢を与えるモノを生み出してほしい。
2つ目は、人に優しくあって欲しいということ。これは、論語の中にある仁から頂いた。弟の名前の中にも含まれているけれど、儒教の中にある五経から一字ずつ頂いている。
総じて言うと、”大地のように優しく、人に夢を与えてほしい”ということである。難しいと思うけど、学校やボーイスカウトの活動を通して見ると、君の友達へ思いやりは素晴らしいし、その気持ちを今後も大切に育んでいってくれたら…と感じている。
  
あとは覚悟を持ってほしい。正直であって欲しいとも思うけど、他人を思いやる嘘はついてもいい。嘘をつくとき、何かの行動をする時に自分の責任である覚悟をもって欲しいということだ。先行きが見え難い世の中は、私たちの世代が不甲斐ないからであるとも思うが、きっと私たちの世代よりも大変だと思う。でも、生きていれば、良いことはたくさんあるはず。だから、何事も直ぐに諦めず、頑張って考えて、たくさんの小さな幸せを感じ、生き抜いてくれたらと思う。
  
10年後、社会に出たら、たくさんの話をしよう。

10年後、僕が振り返る時が来るのかどうか分からないけど、頑張ってほしい。いや、人のために頑張って欲しいと父親として思う。
  
  
以上が旅立ち。終焉というのは仕事のこと。2年間に渡る仕事もようやく一段落し、終焉に向かっている。課題も多く残っているが、とりあえずは良かった。公共施設を極力延命化していこうという取り組みに対する一つの答えを出せたと思っていたのだけど、今回の震災を見ていると、やはり延命化せずに更新すべきものが多くあると感じる。延命化するということは、それだけのリスクを内包することになるので、極力避けるべきだと思う。事業仕分けで「200年に1度のリスク」に対する見解があったが、今までの200年に1度のリスクであって、今後200年に1度のリスクではないので、それ相応の覚悟をもって延命化の判断をして欲しいと考えている。特に日本のように不確定要素が高い天災に対しての投資は無駄ではない。費用対効果を考えれば無駄だと考えることも多いだろうが、それは一つの結果であって、正しい回答ではないと思う。
原発だけでなく、多くの公共施設は10m以上の津波に対するリスクを考慮していないと思う。これは経済性を考慮したものであって、報道では少ないものの、ガス・水道だけでなく多くの下水道も被害をうけている。仙台市においては、下水道が無事でも処理場がすべて水没しているので機能が麻痺している状態であるし、都市が丸ごと流されている地域においては、都市計画から見直すこととなるだろう。
最後に、今回の震災において被災された方々に対する様々な動き、原発で奮闘している東電職員、各地から支援に向かっている自治体職員だけでなく、自衛隊や消防・警察の方々を見ていると、日本に産まれて良かったと感じるとともに、自分が何か出来ないかを考え続けさせられる。ただ、各々の役割があるように、私のような勤め人は直接的な行動が難しい。私の勤める会社は比較的近い所に居るので、救済活動が落ち着いたあと、復興に向けて支援できることが多くあると思うので、今はその時のために、他の仕事を前倒しで片付けて置くこと、そして復興した後の支援のために日本経済が冷えないように働き続けることだと考えている。直接的に支援出来ないのであれば、周りの人に何かをしてあげれば良くて、それが多かれ少なかれ間接的な支援に繋がるのだと信じている。こんな時こそ”PayForward”の精神で利己的にならず思いやりを大事にしたい。それこそが日本の伝統的な文化であると信じているし、誇れることだと思う。また、このことを忘れずに支援を継続し続けること。復興には時間が多くかかる。中越地震被災地では、未だに復旧出来ていない箇所もあるので、これだけの規模の復興に必要となる時間は想像できない。なので、報道が薄れていっても忘れずにいて欲しいと切に思う。