Ron's Backlog

奔放不覊

The Web is Dead ?

GQのサイトで、日本語訳が全文公開されている。
http://www.gqjapan.jp/
原文は↓こちら
http://www.wired.com/magazine/2010/08/ff_webrip/all/1
  
ウェブの生死は気にならないけど、ウェブという言葉は終わりだな…という事は感じている。日本のインターネット利用者の推移においても、PCではなく携帯電話からのアクセスが多いことから、特定のコンテンツを機械で選択して利用する方法が一般的になっているのだと考えられる。
今回は、本記事を読んで感じていることを綴ってみようと思う。
テーマは以下の2点。
1)インターネットというメディアの方向性とその理由
2)それに伴う生活の変化
多分に、思いつくままに綴っていくので、文章として見苦しいところが多いと思うし、あくまでも個人的な見解であることを了承いただきたい。
  
まず、インターネットというメディアの方向性について考えたい。

この数年間にデジタル世界に起きている大きな変化の一つは、ワイドオープンなウェブから、セミクローズドなプラットフォームへシフトが起きていることだ

本文の中に書かれているように、毎日インターネットに接続しているにも関わらず、プライベートな時間の中で情報を探すのに使う時間は少なくなってきている。90年代後半の頃は、検索サイトからリンクを辿って、目的と関連する様々な情報を読み漁ったものだ。しかし、Bookmarkを利用し必要なのは情報ではなく情報源に変わっていった。このBookmarkがRSS Readerに変わり、スマートフォンを利用するようになってからは専用アプリへと推移していく。要するにインターネット上に散らばる情報を模索するのではなく、より早くより広い情報が得られる情報源が提供している専用アプリケーションを利用する方が目的までの所要時間が節約できるからである。この視点から見れば、フラットでオープンであるという”ウェブ”は廃退しつつあるのが現状であるのではないだろうか?
本文に以下の一節がある。

 だが、そのウェブも18歳で、成人になった(訳注:アメリカでは18歳が成人)。ブラウザを利用してきた一世代が丸ごと大人になったのだ。これまで新世界の探検だったものは通常のビジネスに変わりつつある。ウェブは私たちの日常生活の一部となった。私たちは生活をよくするサービスを利用したいと思っているだけだ。現状をよく知るようになるにつれて、新しいものを見つけたいという欲求は静まっていく。

ウェブが広がり始めた90年代後半は、インターネットに接続するためのプロバイダによる競争が行われた。その後、SNSやブログといったサービスに推移し、段々とクローズされたサービス*1の利用が加速していく。この流れに拍車をかけたのが、iPhoneの普及である。専用アプリを利用することで、より容易に、そしてシンプルに情報検索を行える事が、利用者の裾を広げている*2
これらの推移から、今後のウェブってどうなるのか?結局のところ既存メディアであるテレビや書籍、音楽業界と同様の発展を続けるように感じている。これはウェブが衰退するという意味ではなく、大きく2極化していくという事で、一般的なメディアとしてのウェブと、当初の目標*3であるウェブの2つ。一般的なメディアとしてのウェブの利用が大半を占めるため、経済性が強いプラットフォームとなり、サービス競争と、よりクローズな囲い込みが進んでいく。もう一つである本来のウェブは、コミュニティーを中心に、よりオープンかつフラットなサービス展開が図られると思う。もし、後者のウェブが普及するとすれば、オープンカレッジなどの教育機関か、グローバルかつ非営利的団体が推進するか、Googleが原点に立ち帰るなど、経済性が無視された、公正かつグローバルな検索システム(もしくは専用アプリ)が必要になると考える。
  
2つ目に、それに伴う生活の変化である。
これは、2極化するウェブに因るところが大きい。現状のままであれば、既存メディアの置き換えが進み、狭義での電子書籍は普及するだろう。でも、個人的な意見を言うと、これは一部の人に普及するに過ぎず、大きな変化は起きないのではないだろうか?僕自身も、情報を体系的に知りたい時や読み物は、紙のほうが目が疲れないし、楽なので電子媒体は利用しないと思う。逆に、新聞や雑誌など、幅広い情報は電子媒体を積極的に利用したいと思う。
もし、本来のウェブが普及していくのであれば、生活に大きな変化をもたらすと思われる。MicrosoftのUXポータル(http://www.microsoft.com/japan/powerpro/projectux/default.mspx)に示されるように、様々な生活空間の中にウェブが入り込んでくるようになる。ただし、そのためにはハードウェアが必要であり、一昔前に着目されていたウェアラブルコンピュータが陽の目を見なくてはならない。僕自身は、スマートフォンタブレットではなく、ウェアラブルPCを待っているのだけど、なかなか世間には受け入れられないと思う。だって、電車の中で隣の人が腕や手のひらに画面を映してたら気持ち悪い気もするし…。
  
ウェブが成人したとは言え、成熟するためには難題も多く残っている。ウェブが発展するためには、コンテンツだけでなく、テクノロジの充実も必須であり、両者がバランスよく発展していくことにある。このことを、本記事では締めに示していると感じた。

音楽ストリーミングサービスのSpotify、映画をユーザーのコンピュータ・ディスプレイに届けるNetfl ix、ブルーレイ・プレイヤー、Xbox360といったワクワクするインターネットサービスが台頭したことも、私たちをウェブから引き離した。
私たちはすでに存在している世界に戻りつつある。私たちの関心は(比較的)短いあいだ、ウェブがもたらす変化に向いていたが、いまや音楽や映画のもたらす変化を追うようになった。
 長い旅も終わり、私たちは家に帰ろうとしているのかもしれない。

  
ウェブは死んだ訳ではなく、ウェブというテクノロジが成熟するためには、自分たちユーザの意識を変えていくことも必要不可欠であると考える。インターネットというものは、経済性だけでなく、公共性が強いインフラであるため、経済理論だけでなく、より良いサービスを提供する環境に進化して欲しいものである。

*1:Facebookはオープンであるが、5億人のユーザを抱える1つのサービスであり、登録されたユーザ間でのコミュニケーションという点ではクローズな環境とも言える

*2:個人的にAppleの凄さはココにある。iOSだけでなく、歴代のMacOSにも現れているが、よりシンプルに直感的な操作を行えるGUIを実装しているのは、利用者を強く意識している証である。90年代からUIの研究を続けているMicrosoftが何処まで追いつけるのかは、今後の楽しみである。現在の開発体制でLinuxがユーザ主体となれるか?この辺も楽しみではあるのだけど…。

*3:よりフラットで、より多くの情報を展開されるウェブ