思いつくままに…(その2)

仕事帰りの電車で書いてたので、出社の電車で続きを…
  
コミュニケーションの話から…ちょっとした過去の例を出してみる。
僕の元上司に、とても親切な人が居た。2人で飲んだ帰り道のこと、電車の中で咳き込んでいる人がいたので、その上司は鞄の中から咳止めの薬と水を出し、咳き込ん出る人の背中を摩りながら、「大丈夫か?この薬、よく効くから飲んどけ…」などと介抱し始めた。
大半の人が”そんなの飲めないだろう”と感じる通り、咳き込んだ人も遠慮をした。元上司に悪意はないし、ただの親切心で行った好意であるのだが、この後がまずかった…。元上司は、薬を飲まないことに腹を立てたのだ(酔っていたからしょうがないのだけれど…)。親切心の塊であった行為なのだが、相手の気持ちを無視したがために、美しくない好意になってしまったのだ。
このように、一緒に楽しむために面白い事を言い続けるのは素晴らしい行為だと思うのだが、相手に強要する必要はない。相手の気持ちを察してあげることが、コミュニケーションの基本なのだと僕は思う。
ただし、ござ先輩が言うとおり「自重はダークサイド」である。自分の意思表示をする中で、相手のことを思いやる事が出来るとベストだと考える。そのためには、互いに正直に話し、信頼関係を築いていかなければならない。とても時間がかかるものなのだろう。
  
最後に自分のこと
思いつくままに書いてきた順番が、僕の中での優先順位。今は友達よりも仕事優先(もしかすると逆転するかもしれない)で、最後に自分がある。では、自分ってなんだろう?
先日、後輩と出張に行ったとき、「辻さんってお父さんみたいですよね」と言われて苦笑した。「えっと、まだまだ若いつもりなんですけど…」と苦し紛れに応えたものの、ちょっとショックだった(笑。
僕の中では、今でも20代の頃と変わっていないつもりだし、そして変わるつもりも無い。自分が人のことを優先的に見たり、手伝ったりする性格も変わらないだろう。好きな人たち、困った人たちを手助けすることほど楽しいことは無いと思う。端から見れば下心があるように思われるのは知ってる(現に直接言われたこともあるし…笑)のだけど、僕にはない*1。しいて言えば、手助けしてあげた後の笑顔や仕草に興味があるとも言える。
なんにせよ、昔の団地と呼ばれる集落で育った僕は、上の世代の人達から守られたり面倒を見て貰った様に、同じ事を下の世代に施しているだけで、そうすることがとても自然な行為だと僕が思っているからだ。常々後輩に言う事なのだけど、僕の行為にお礼は要らず、同じような事をあなたの後輩や近しい人達にしてあげてください…そうやって紡がれて行くことが伝統であり、明文化されず人の根底に流れているものだと思う。
僕が思うこと。「自分がすることは少なからず他人に影響を及ぼすのだから、どうせなら自分優先ではなく他人優先の方が気持ちがいいのではないか?」と言う事。そんな事をみんなが感じてくれれば、少なからず殺伐とした空気のない世界が築けるのだと思う。
  
長々とまとまりの無い文章を書いたもんだ。
でも、これが今の僕のスタイルであり、推敲してしまったら、この内の4割部分の気持ちが減ってしまうと思う。
とにかく、思いつくままに綴ってみた2009年末の自分の戯言。

*1:相談に乗ってあげて雰囲気で手を出したり、相手の気持ちを弄んだり…と言うのは、10代の時にやり尽くした。19歳の時の事件をキッカケに真摯に向かい合うようになったと思う。下心をもって…と言うのが悪いとは思わないし、騙される方にも落ち度があると思うのだけど…。ま、経験の差なんだろうな…。