考える事を放棄してはいけない

  
事の発端はNobuyuki(id:stkyoto)さんのエントリ
面倒なので全文引用(ごめんなさい)

"考えること"の大切さ -My Feedback Life-
こないだから、考えるべきブログのカテゴリを作っても良いかもと思い、追加しました。考えることというのはとても大切なことだと思うので。それにしても、ここ最近、狂言謡曲、雅楽を聞く機会が触れている時間が多いせいか、感じること/考えることのあり方と言うところに、更に意識が傾倒しています。

  
Nobuyukiさんが面白いなと思うのは「感じること/考えること」と、並列しているところ
僕は感じることは考えることの前工程にあると考えていたからだ
  
僕は芸術と呼ばれるものを「感じ」てから、それについて「考え」ていた
この工程で芸術などを考えると、無意識のうちに「感じる」段階で理解できないものがフィルタされている可能性がある
(と言うことは、感じている時点で、既に考えているのだろうか?)
本来であれば芸術と言うものは感じるだけで済むはずだ
しかし、定量的な評価手法がないので、比較することで評価する(はず)
知識の中にある似た芸術作品との比較、同じ者(芸術作品を作成した者)の芸術作品との比較など・・・
ここに考える工程が含まれているのだろう
  
話は飛んでしまうのだが、このエントリを見て"考える"と言う事が何故必要なのか考えてみた(なんか言い回しがおかしいけど・・・)
『海穏やかであれば、水夫は熟練しない』というイギリスの諺がある
考えることを放棄したら死に繋がるから、逆境に追い込まれるほど、たくさん考える状況になるだろう
同様に、仕事で考えることを放棄したら、確実に製品は死ぬ(良い製品はできない)
このことから、良い仕事は考える量に比例すると僕は思う
そして、良い人生も考える量に比例していることに繋がるだろう
  
考えることを放棄してはいけない
つまらない事が多い世の中でも諦めてはいけない
つまらない事、難しい事を、考えることで楽しい事に変えていけるのではないだろうか?
Nobuyukiさんの、thinkingタグを楽しみにしている